「民間任せ」 現場の声 生かして再設計を! 英語民間試験 

萩生田文部科学大臣の「身の丈発言」をきっかけに大学入学共通テストへの英語民間試験の導入が延期された問題。国会もまもなく会期末を迎えるので、政府として、今後どのように対応していくのか、一定の区切りをつけてもらいたい。

また、この問題の本質は、大学入学試験を民間事業者に全面的に委ねた点にあると考える。このため、現場の声を基に、制度設計を再度やり直す必要があるのではないか。国民の多くの皆さんに引き続き関心をもっていただきたい。英語教育専門家の意見の紹介も含めて、この問題を取り上げる。

 「制度設計から出直しを!」の続報

この問題が表面化した直後、私は当コラムで「制度設計から出直しを!」と題する考えを投稿した。政治記者出身で教育の専門家ではないが、「この問題の根本は、大学入試に使われる英語の試験を民間業者・団体が実施する試験に委ねた制度設計にあるのはないか」と問題提起した。その後、どのような展開になるのか気になっていたので、改めて続報を執筆したいと考えていた。

 英語教育専門家「2つの構造的欠陥」

その続報を考えたきっかけは、実は先週22日、日本記者クラブで行われたシリーズ企画「英語教育改革の行方」で、京都工芸繊維大学の羽藤由美教授の講演と質疑を聴いたからだ。

羽藤教授は、自らの大学入試などに使用しようと独自に英語のスピーキングテストを開発した英語教育の第一任者だ。講演で私が最も印象に残ったのは、「今回の英語民間試験には、構造的欠陥が2つある」と指摘した点だ。

 「公平・公正さと利潤追求」の二律背反

構造的欠陥としてあげた1つが、「公平・公正性と利潤追求との二律背反」だ。つまり、大学入学者の選抜にあたっては、公平性・公正性が大前提になる。

一方、英語民間試験を実施する民間事業者にとって、会場や人手の確保などに経費がかかり、採算を取り利益を高めようとするのは当然の経営判断ともいえる。

利益を優先しすぎると大学入試の運営に問題が生じたり、受験生に不当な負担がかかったりする。この2つの関係は、二律背反が避けられないと指摘する。

その結果、幼い頃から民間試験や受験対策講座などを手軽に受けられる都市部の富裕層に有利で、地方の低所得者層からの大学進学がより難しくなるなどの格差がより進むなどの弊害が予想される。

 「異なる試験で、成績比較の致命的欠陥」

2つ目は「異なる試験の成績を比べるという致命的な欠陥がある点だ」という。共通テストに使われる英語民間試験は、6つの事業者が運営する7種類の民間試験だ。それぞれの試験は、測る対象、能力などが違うので、そもそも異なる試験の成績を比べることはできないと指摘する。

例えて言えば、50メートル走と、マラソンとのタイムを比べて、走力の優劣を決められないと同じで、それぞれの試験の成績を比べて、英語力の優劣は決められない。

こうした構造的にムリがある制度を押しつけようとしているのが、今回の問題だと指摘。構造的な欠陥がある制度を受験生に押しつけようとしていると結論づける。

その上で、羽藤教授は、文部科学省の官僚もわかっていながら、声をあげない。大学の教職員も関心を持つのは一部に限られ、多くは無関心。国大協、メデイアも肝心な点まで踏み込まないと憤っていたが、個人的にはわかる気がした。

詳しくは、「日本記者クラブのホームページ」にアクセスすると講演・記者会見の質疑の模様が動画で見ることができる。

 公的機関が関与・指導できる制度設計に

では、この問題、どんな対応が考えられるのか?
羽藤教授は、今後の英語試験については、文部科学省や入試センターなどの公的機関が制度設計に関わり、その上で、民間事業者の経験を生かすことが望ましいとの考え方を示している。

筆者も同じ問題意識であり、公的機関が中心になって制度設計するのが基本ではないかと考えている。その際、重要な点は、教育現場の専門家、それに高校で生徒を教えている教諭の声を十分に耳を傾け、運用面に生かしていくことが重要だと考える。

 

 教育現場の声を生かす政策決定・運用を

今回の英語の民間試験制度の土入は、第2次安倍内閣の私的諮問機関である「教育再生実行会議」の提言がきっかけになっている。経済界の有力なメンバーの提案が採用され「政治主導・官邸主導」で推進されてきた。

いわば”上からの改革”で、自民党をはじめ、文部科学省の官僚も、疑問点を質したり、運用上の問題を提起したりできなかったのではないか。
このため、今後は教育分野の専門家、当事者である高校生など現場関係者の声を生かして、制度設計や運用ができるよう改善する必要があると考える。

また、大学共通テストをめぐっては、今回の英語民間試験の問題だけでなく、国語と数学に記述式問題が導入される。採点には、大学院生や教員の退職者、アルバイトの大学生が当たることが想定されているが、採点が公平に行われるのか具体的な取り組み方が問われている。

政府が、受験生が納得のいく制度設計や、運用面でも信頼できる体制を整備できるかどうか。また、そのための予算は、国が全面的にバックアップすることも、不可欠だ。

政府は、21世紀の日本にふさわしい教育体制の構築を掲げている。それならばOECDの先進諸国の中で、教育の公的支援の割合が最低水準にある点は、早急に改善する必要があると考える。

 

 

 

制度設計から出直しを! 英語民間試験

今週6日と8日に行われた衆参両院の予算委員会の集中審議では、閣僚2人の辞任に対する安倍首相の任命責任と、大学入学共通テストへの導入が延期された英語の民間試験問題に議論が集中しました。このうち、英語民間試験について、みなさんはどこに問題があるとお考えでしょうか?

私は、端的に言えば「民間任せの制度設計」に一番の問題があるのではないか。また「事実関係の明確化と責任の所在」、それに「ブレーキ役、問題に気づいた時の軌道修正の役割」が極めて重要だと感じています。
以下、その理由、背景などを説明したいと思います。

ジャーナリストから見た入試制度

最初にお断りしておきますと、私は政治記者・解説委員経験者で、教育の専門家ではありません。このため、教育の中身について論評するつもりはありません。ただ、今回の問題は既に政治問題になっていますので、1人のジャーナリストとしての見方・読み方を提示して、議論の活性化に役立つことを希望しています。

また、私の判断材料は、国会での与野党の質疑、教育に詳しい国会議員、学者の取材に基づいていることを申し添えておきます。

 根本問題、”制度設計が民間任せ”

今回の問題、結論を先に言えば、問題の根本は、大学入試に使われる英語の試験を「民間業者・団体が実施する試験に委ねた制度設計にあるのではないか」と見ています。

こうした民間頼みの結果、試験会場の数は限られ、多額な受験料がかかる試験も出てきます。地方と都市の地域格差、経済格差も生じます。

一方、そうした格差に対する問題意識は乏しく、対応策は取られてこなかった。このため、萩生田文科相の「身の丈発言」が出てしまう土壌・背景があったのではないか。このため、「制度設計からの出直し」が必要だと考えます。

その際には、憲法と教育基本法がベースになります。「教育の機会均等」を基本に具体的な制度設計を進めて欲しいと考えます。

 事実関係の明確化を、問題点をなぜ放置?

今回の英語民間試験の導入について、推進派の教授の話を聞くと「地域格差や経済格差の問題があることは認識していた。文部省が設置した検討会議の中でも指摘してきた」と強調しています。

それにもかかわらず、なぜ、土壇場まで、そうした問題が放置されてきたのか。文部科学省はなぜ、対応策をとらなかったのか、はっきりした説明はありません。

 導入までの経緯

そこで、振り返ってみますと大学入学共通テストへの英語民間試験の導入は、2013年に安倍首相が設置した教育再生実行会議まで遡ります。
その再生会議が提言した「英語教育改革」と「大学入試改革」を受けて、導入への動きが始まりました。

その後、14年12月に文科相の諮問機関である中央教育審議会の答申を受け、2017年7月に文科省が民間試験の実施方針を決定しました。50万人が受験する共通テストで、読む・書く・聞く・話すの4技能を測る試験を国が開発するのは困難だとして、既に実績のある民間試験を活用することにしたわけです。

 歴代文科相から聞き取り

こうした民間試験導入の経緯を検証するため、萩生田文科相は、歴代の文部科学大臣から導入の経緯などについてヒアリングを行う考えを示しています。

また、文科省が去年12月に設置し非公開で検討してきた有識者会議の議事録を公開する方向で検討する考えを示しています。

これまでの経緯、事実関係を明確にすることは必要不可欠です。その上で、問題がある場合、結果責任、政治責任のケジメをつけることも重要です。

ブレーキ役、軌道修正機能も不可欠

さて、今回の取材で感じるのは、政策の決定や実現への過程で、問題が生じた際に「軌道修正ができる機能が働くかどうか」という問題があります。

英語民間試験導入は、第2次安倍政権で設置された教育再生実行会議の提言を受けて実現した看板政策です。それだけに担当する文科省からすると、官邸主導の政策に異論を唱えにくい状況があったのではないでしょうか。

以前の自民党政権では、官僚が政策提言や進言をしたり、党内では文教族が積極的に発信することで、問題点の是正を図るなどブレーキ役を果たしてきました。
最近は官邸主導が一段と強まり、こうしたブレーキ役を果たす党の幹部やグループ、官僚はいなかったのではないでしょうか。

また、問題が起きた際、担当閣僚や官僚はどんな責任を取るのか。特に「政治責任」が明確にならないという問題が気になります。
安倍政権での一例を挙げれば、森友問題での財務省の文書改ざん事件。官僚の一部は処分を受けましたが、結局、政治家・大臣の責任は、問われませんでした。

英語教育・入学試験制度、教育の将来像の議論も

最後に整理しておきますと、英語試験のあり方については、若い世代の人たちが納得して試験に挑戦できる試験制度に改めることが必要です。

一方で、試験を元の制度に戻すだけでは、生産的ではない気がします。
グローバル化した世界での英語教育のあり方、そのための入学試験で判定する英語技能などを明確にする必要があります。
また、試験は民間の事業・団体を活用するのか、あるいは公的な実施機関を整備して実施できないのか、専門家に抜本的に検討してもらいたい。
このほか、国語と数学に記述式問題が導入されます。その採点には、大学院生や教員の退職者、それにアルバイトの学生があたることなど想定されており、こうした点も問題になっています。

日本の教育科学予算の規模は5兆円台、この30年間ほぼ横ばい状態のままです。
OECDのデータでは、日本の公的教育予算のGDP比率は、残念ながら先進国で最低水準です。資源の乏しい日本は、人材の育成を最重点に取り組む必要があります。入学試験制度の整備も含めた教育の質の向上、そのためには、教育科学予算の拡大を着実に進めていくことが不可欠だと考えています。