先の参議院選挙を受けて、国会の構成などを決める臨時国会が3日、召集されるが、審議はまったく行われずに3日間で幕を閉じる見通しだ。
安倍元首相が銃で撃たれ死亡するという衝撃的な事件が起き、その余震は今も続いている。一方、コロナ感染は爆発的な拡大が続いており、物価高騰も長期化する公算が大きい。
こうした先行き不透明な情勢の中で召集される国会で、銃撃事件の中間的な報告も、経済・社会に関する審議・質疑も全く行われない国会をどう考えればいいのだろうか。
一言でいえば鈍感。危機感も緊張感も感じられず、驚きを通り越してあきれてしまうというのが正直な受け止め方だ。
今の会期内で短時間でも審議を行ったり、会期を延長したりする考えは本当にないのだろうか。国会を召集する権限を持つ政府に最も大きな責任があるが、与野党の国会議員は自らの役割と責務を果たすため、再考の声を上げてはどうか。
慣例にとらわれず柔軟な国会運営を
衆議院選挙や参議院選挙が行われ、新しい国会議員が選ばれた後の国会は、新しい議長、副議長、常任委員会や特別委員会の委員長を選出する「院の構成」を行って短期間で終えることが多いことは知っている。
今回も召集日当日は、新人の参議院議員が国会正面から登院し、メデイアのインタビューに応じる光景が繰り広げられるのだろう。それはいいとして、この国会は、院の構成だけで済ませられるほど甘い状況にないことは、与野党の議員の多くが感じていると思う。
ところが、自民党の高木国会対策委員長と、野党第1党・立憲民主党の馬淵国会対策委員長は1日の会談で、この国会の会期は3日から5日までの3日間とすることで、早々と合意した。
また、安倍元首相の国葬は秋の臨時国会に先送りする一方、国葬などについて議論をするため、閉会中審査を行うことで日程調整を進めることになった。
短期にしたのは、自民党としては、岸田首相がニューヨークで開幕したNPT=核不拡散条約再検討会議に出席して演説する外交日程が入ったこと。
8月は広島、長崎の原爆の記念式典に出席する関係で、国会の審議日程を確保するのは難しいと判断したためとみられる。
そうした事情はあるにしても、参院選挙が行われた後の臨時国会で、審議を行った先例はある。
2004年小泉政権時代、あるいは2010年の民主党の菅直人政権の時は、いずれも会期を7月30日から8日間に設定し、衆参両院で本会議を開いたり、予算委員会を開催したりして質疑を行っている。
仮に先例がなくても与野党が合意すれば質疑はできる。先人たちは、その時々の情勢に応じて、慣例にとらわれずに柔軟に対応してきたことを学ぶべきだ。
国葬、感染爆発対策、首相自ら説明を
それでは、国会の対応のあり方などをどう考えたらいいのか。選挙応援演説中の首相経験者が、兇弾に倒れる前代未聞の事件が起きた。警察当局の警護の不手際も指摘されているが、国会で経緯の報告もなされていない。
また、容疑者の動機や背景に「世界平和統一家庭連合」、旧統一教会の存在が指摘されているほか、この旧統一教会と政治との関わり、現職閣僚や自民党議員の数多くの関係も明るみになりつつある。
政府は、安倍元首相の葬儀を国葬で行うことを閣議決定したが、国葬で行う法的根拠や手続きなどをめぐって、世論の賛否の意見が分かれている。
また、国民の受け止め方は、事件の背景を含め全容を明らかにするよう求める意見が強まっている。
こうした状況を考えると、まずは、岸田首相が国会で安倍元首相の死去を報告するとともに、政府が国葬にすることにした考え方などを説明することから始める必要がある。
また、この事件に関連して、旧統一教会と与野党の国会議員との関係はどうだったのか、実態調査の進め方などについても議論する必要があるのではないか。
岸田首相は先に旧統一教会と自民党議員との関係について「丁寧な説明を行っていくことは大事だと思っている」とのべた。
この発言は、議員個人の問題と聞こえるが、自民党の場合、関わりのあったと指摘された議員の多さを考えると、党として事実関係の調査を行う必要があるのではないか。
このほか、コロナ感染の爆発的な拡大と医療のひっ迫への対応、今後の物価高騰対策の中身はどうなるのか、国民の関心は極めて大きい。こうした点を含め、岸田首相は、国会審議を通じて政府の方針を明らかにすべきだと考える。
7月末に行われた共同通信の世論調査で、岸田内閣の支持率は51%で、参院選挙で大勝した前回調査から12ポイントも急落し、内閣発足以来最低となった。安倍氏の国葬についても「賛成」は42%で、「反対」が53%と上回っている。
こうした世論の反応は「国葬についての説明はなく、感染危機対応のメッセージも発しない岸田首相に対する厳しい評価の表れ」と思われる。
加えて、臨時国会で報告や質疑もないとなると、首相の信頼感を失うことになるのではないか。岸田首相は戦後最大級の難局と受け止めているのであれば、逃げずに真正面から、自らの考えを国民に訴える局面ではないかと考える。(了)