揺らぐ自公、解散、政権への影響は?

次の衆議院選挙の候補者調整をめぐり、自民、公明両党の意見の対立が深まり、公明党が東京での選挙協力を解消する方針を決めた問題で、岸田首相と山口代表が30日会談し、連立政権の枠組みを維持していくことを確認した。

一方、自民党の茂木幹事長と公明党の石井幹事長も会談し、自民党は東京以外に影響が広がらないよう埼玉と愛知で、公明党の候補を推薦する方向で調整を急ぐ考えを伝えた。

このように自民、公明両党の関係が大きく揺らいでいるが、両党の関係はどうなるのか。焦点の衆議院の解散や岸田政権の政権運営にどのような影響を及ぼすのか、探ってみたい。

 埼玉・愛知で協力、亀裂への歯止め

まず、岸田首相と山口代表の党首会談は昼食を取りながらおよそ1時間行われた。この中で、両党の関係や今後の政権運営について意見を交わしたが、公明党が東京の選挙で自民党の候補を推薦しないなどの方針を決めたことについて、岸田首相から言及はなかったとされる。

一方、両党の幹事長同士の会談で、茂木幹事長は両党間の亀裂がこれ以上拡大しないようにするため、次の選挙から選挙区が1つずつ増える埼玉と愛知について「公明党の要望に沿って調整を進めていきたい」とのべ、公明党が擁立を発表している候補を推薦する方向で、地方組織との調整を急ぐ考えを伝えた。

これに対し、石井氏は「なるべく速やかに調整してほしい」とのべた。また、両氏は、全国レベルでの選挙協力に向けて協議を続けていくことでも一致した。

一方、公明党が東京での選挙協力を解消するとした方針の扱いについては、議題として取り上げられなかったという。

このようにきょうの会談は、両党の選挙協力をめぐる亀裂がこれ以上、拡大しないよう歯止めをかけるのが精一杯というのが実態のようだ。

 首相の長男秘書官更迭 波紋広がる

この自公の選挙協力の問題とほぼ同時進行の形で、岸田首相の長男、翔太郎首相秘書官をめぐる問題が表面化した。

翔太郎秘書官をめぐっては、年末に首相公邸で親戚と忘年会を開き、写真撮影をしていたことなどが週刊誌で報じられた。参議院の予算委員会でも取り上げられ、岸田首相は厳重注意をしたと答弁してかわそうとしたが、世論の批判を浴び、29日に更迭に踏み切った。

野党だけでなく、与党からも批判を浴びており、この不祥事で「早期解散は当面、難しくなった」との受け止め方が与野党に広がっている。ただ、一部には「早期解散の流れは変わっていない」と警戒する見方も残っている。

 解散時期、自公の選挙協力体制がカギ

そこで、衆議院の解散・総選挙への影響はどうか。自民党内では、G7広島サミットをきっかけに岸田内閣の支持率が上昇、株価も3万円を超え、これ以上の好条件はないとして、今の国会の会期末に解散に踏み切るべきだとの意見が強まっていた。

ところが、結論を先に言えば、自公の選挙協力が難航し両党の関係に亀裂が入ったことで、早期解散はかなり難しくなったのではないかとみられる。

解散をめぐっては、いろいろな要素が絡むが、端的に言えば、選挙で勝てる見通しがつかないと踏み切ることは難しい。

今問題になっている東京をみると、前回2021年の衆院選挙で自民党は小選挙区で23人の候補者を擁立、このうち21人が公明党の推薦を受け、14人が当選した。

このうち、次点との差がおよそ2万票未満の当選者は6人。公明票は1選挙区で2万票程度といわれているので、この公明票の上乗せがないと当選は厳しいということになる。

全国でみると自民党は小選挙区の277人を擁立し、このうちの95%、ほとんどが公明党の推薦を受けた。このうち、2万票差未満の当選者は57人、1万票差未満は30人。つまり、公明票がないと激戦区で、かなりの議席を失う可能性がある。

そこで、仮に今の国会での6月解散・7月総選挙となると、極めて短い期間に自公の選挙協力体制を整えられるか。また、解散の大義名分、選挙の政策面の争点として何を設定するのか、国民の理解を得るのは難しいとみられる。

他方で、自民党内には、先の統一地方選で躍進した維新などの野党側に対しては選挙体制が整っていない時に解散を打てば有利だとして、早期解散はありうるとの見方もある。

最終的には、岸田首相がどのように判断するかで決まる。個人的な見方を尋ねられれば、岸田政権の現状を冷静に観察すると早期に解散・総選挙を行えるような状況にはならないのではないかとみている。

 自公連立様変わり、選挙協力見通せず

もう1つの焦点である自民・公明両党の連立政権や、岸田政権の政権運営への影響はどうだろうか。

岸田首相と山口代表との会談で、両党による連立政権の枠組みを維持していくことを確認したので、当面、今の連立の枠組みが変わることはないとみられる。重要法案の扱いや主要政策の調整についても従来の方式で進められる見通しだ。

但し、自公の連立がスタートして20年あまりが経過したこともあって、かつての濃密な人間関係は薄れ、連立政権の姿は大きく様変わりした印象を受ける。

振り返ると公明党が連立政権に参加したのは、小渕政権当時の1999年10月だった。前年の参議院選挙で自民党が惨敗し、衆参ねじれ国会となり、自民党の強い要請を受けて、公明党が自自公連立政権の形で政権入りした。

当時の取材メモを読み直してみると小渕首相、野中幹事長が、公明党の神崎代表、冬柴幹事長と水面下でたびたび会談を重ね、連立政権入りを働きかけた。

公明党側は「最初は閣外協力でどうか」などと慎重な姿勢を繰り返したが、最後は小渕首相が「直ちに連立に入り、閣内協力でお願いしたい」と強く要請して実現にこぎつけた。

当時は、金融危機とバブル崩壊後の経済立て直しが最大の課題だった。公明党の連立政権参加で、与党が参議院で過半数を回復した。それ以降、重要な政策決定や選挙態勢づくり、時には政局にも関与しながら双方が一体となって運営に当たった。

第2次安倍政権では、安倍首相は維新との関係が強かったが、公明党に対しては二階幹事長らが調整役を果たしたほか、難問は安倍首相と山口代表のトップが直接、調整に当たった。

これに対して、岸田政権では、首相官邸をはじめ、自民、公明双方ともに真正面方調整に当たる幹部がみられない。今の自公の連立政権は人間関係が希薄で、かつての連立政権と比べると大きく様変わりしている。

今後、問題になるのは、東京の選挙協力をどのように決着をつけるのか、事態収拾の糸口がまったく見えない。東京だけ除いて、それ以外の地域について、選挙協力を進めることができるかどうか、無理がある。

また、公明党は、関西地域で維新と競合が激化する中で、どこで議席を増やすのか。東京で自民党との選挙協力を行わない場合、自民党以外のどの党と協力していくのか、自民党側に疑念を生じさせる可能性もある。

6月21日に迫った通常国会の会期末に向けて、自民、公明両党は重要法案などはこれまで通りの体制で乗り切るものとみられる。但し、夏から秋にかけて予想される内閣改造などの節目には、選挙協力体制を含め両党の関係を再構築することができるかどうか問われることになる。(了)