戦後政治の先駆者的宰相 中曽根元首相死去

「戦後政治の総決算」を掲げ、国鉄の分割・民営化などを成し遂げた中曽根康弘元首相が29日亡くなった。個人的には現役記者時代の首相で、「戦後政治の先駆者的宰相」として位置づけることができる。さまざまな面で今の政治の原型、先取りをしてきた首相・宰相と言える。

中曽根元首相の歩みを振り返ると、内外に多くの足跡・功績を残していることがわかる。同時に今の政治、政治家との違いが浮き彫りになり、「今の政治、政治家のあり方」を考えさせられる。

 「政治家として生涯全う」

中曽根元首相死去のニュースの中で印象に残ったのは、長男、弘文元外相が「息を引き取る直前まで国家の行く末を考え続け、政治家として生涯を全うしました」との感想だ。

101歳で逝去されるまで、毎年5月になると中曽根氏の誕生を祝う会と健在ぶりが、記者仲間を通じて伝わってきた。政界引退後も生涯一政治家として、安全保障や憲法改正問題で発信し続けてきた。

最初にお断りしておくと、私は現役記者時代、中曽根派の取材を担当したことはなく、中曽根元首相を知悉しているわけではない。

田中派担当で、中曽根氏を自民党総裁選で応援するかどうかを巡り、後に幹事長に就任する金丸信氏が「ぼろ神輿を担げるか」と難色を示したり、後藤田正晴氏が「ぼろ神輿は修繕して担げばいい」と収めたりしていた。

また、取材していた後藤田氏が、中曽根内閣発足時の官房長官として就任するまでの経緯。あるいは二階堂進副総裁が、中曽根氏と対峙し最後は副総裁を解任されるまでの時期。
ある時は中曽根氏側から、ある時は対局側から、取材していた当時の記憶をたどりながら、中曽根政権時代を振り返ってみる。

 戦後政治の先駆者

中曽根元首相の経歴や功績については、既にテレビニュースや新聞で報じられているので、省略させていただく。中曽根元首相は、一言でいえば「戦後政治の先駆者的宰相」、「昭和の時代、田中角栄氏と並ぶ保守政治家」と言えるのではないか。ここでは、中曽根政権時代の特徴で、その後の日本政治に影響を及ぼした点について、幾つか触れたい。

▲「首相のリーダーシップ・大統領的首相」

中曽根政権の特徴としては、第1に「首相のリーダーシップ、大統領的首相」を意識して実践していたことが挙げられる。

政権の目標として、行政改革を打ち出し、電電、専売、国鉄の3公社の民営化を実現した。その際、土光敏夫氏が会長を務める臨調・臨時行政調査会を活用して改革案を取りまとめ、自民党や官僚の頭越しに実行するトップダウン方式を多用した。

総理大臣のリーダーシップを発揮、大統領的首相をめざしたと言えるのではないか。その後、官邸機能の強化、政治主導などの取り組みにもつながる。

▲「首脳外交、ロン・ヤス関係」

中曽根政権の第2の特徴は、外交面では、首脳外交を展開した。
就任直後、最初の訪問先に選らんだのがアメリカではなく、韓国。歴代首相として初めて韓国を公式訪問、全斗煥大統領と会談した。当時、総理官邸で取材していて驚かされたことを鮮明に覚えている。

日米関係では、東西冷戦の1980年時代「日米同盟の重要性」を明確に打ち出した。レーガン大統領との間で、親密なロン・ヤス関係を築いた。

中国との間でも、胡耀邦総書記との間で日中友好関係を強めた。

▲「戦後政治の総決算」

中曽根元首相は「戦後政治の総決算」を打ち出し、吉田茂元首相以来の「軽武装、経済優先」の保守本流路線とは一線を画した。
靖国神社への公式参拝や戦後の米軍占領下で制定された憲法改正に意欲を燃やした。
但し、現職首相として初めて靖国神社に参拝したが、中国側が強く反発、胡耀邦総書記が苦境に立たされたことに配慮してその後、参拝を見送った。

一方、憲法改正問題は「現内閣では政治日程に載せることはしない」と封印するなど現実重視の姿勢を取った。

▲”政界風見鶏” ”ベンチャーの創業者”

中曽根元首相に対しては、”政界風見鶏”と揶揄する見方があるのも事実だ。
確かに佐藤政権時代、鋭い批判者の立ち場から一転入閣したり、角福戦争の際には地元出身の福田赳夫氏ではなく、田中角栄氏の陣営に加わったりしたケースをとらえられ批判を受けた。

他方、中曽根派は中小派閥で、そこから総理・総裁の座を射止めるためには、様々な苦難を乗り越える必要も理解できる。今風に言えば、ベンチャー企業の創業者的存在といったところではないか。
首相就任後は、”死んだふり解散”で、総選挙で圧勝、独特の政治的な勘の持ち主でもあった。

一方で、政治とカネ、リクルート事件などでも関係が取り沙汰された。
経済政策では、首相時代のプラザ合意と円高、その後の経済政策がバブルにつながったのではないかいった指摘があるのも事実だ。

▲「テレビ政治時代の先駆け」

1970年代、自民党が”三角大福中”の派閥全盛時代、中曽根氏は派閥領袖の中で、いち早く、テレビ時代の到来を意識していた有力政治家だった。

ネクタイの色や柄まで、テレビ映りを意識していた。対米貿易黒字対策の市場開放策についての記者会見では、自らカラーのグラフなどを使って説明するなどの演出面にも気を配っていた。

”テレビ政治時代”を意識しており、細川元首相や、小泉純一郎元首相など先駆けとも言える。

さらに感心するのは、中曽根氏は著書が多い点だ。”50年の戦後政治を語る”として出版された「大地有情」、「リーダーの条件」などの著書で、最高権力者がどのような発想・考え方で国家の舵取りをしてきたのか、政治記者としてたいへん勉強になった。首相経験者が著書で政治を語る先駆けとしての存在でもある。

 問われる今の政治家・政治の質

中曽根政治を見てくると「首相のリーダーシップ」は、「今の政治主導、官邸主導」につながる。
「中曽根氏の首脳外交、日米同盟」路線は、今の安倍首相の「地球儀を俯瞰する外交、日米基軸外交」に引き継がれている。
さらには「憲法改正」重視なども安倍政治と類似する。

一方、政治家・政治の質という面では、中曽根政治には、政権の目標設定や実現のための工程が明確だったと言える。
また、理念・哲学と同時に、問題が起きれば軌道修正を図る柔軟性も兼ね備えていたのではないか。

端的に言えば、今の政治家・政治との落差を痛感する。中曽根元首相の時代以上に、日本を取り巻く情勢は厳しさを増している。それだけに政治家と政治の質の改善、そのための具体的な方策を考えていく必要がある。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です