アメリカのトランプ大統領夫妻が新型コロナウイルスに感染したという驚きのニュースが週末に飛び込んできた。一方、国内でも日本学術会議が推薦した新会員の候補について、菅首相が一部任命をしないことが明らかになり、波紋が広がった。
この問題は「学問の自由との関係」もあるが、菅政権発足直後の出来事なので、「新政権の政治姿勢」を占う点でも注目している。
そこで、今回の問題、政権のあり方も含めて、どのように考えたらいいのか見ていきたい。
学者の代表機関 独立性を保障
最初に日本学術会議とは何か、手短に整理しておきたい。
「学者の国会」とも呼ばれ、人文・科学、生命科学、理学・工学のおよそ87万人の科学者を代表する機関で、210人の会員などで構成されている。
太平洋戦争に科学者が協力したことを反省し、1949年に設立された。内閣総理大臣が所管し、経費は国費で負担。年間10億円支出されているが、政府から独立して職務を行う機関と位置づけられている。
会員は昭和59年の法律改正で、学者間での選挙で選ぶ方法から、研究分野ごとに候補者を推薦し、その推薦に基づいて総理大臣が任命するという形式に変わった。
その際、所管していた総理府・総務長官は国会答弁で「学会からの推薦者を拒否はしない」と独立性を保障する考えを表明した。
6人任命せず 政府側の説明なし
今回、日本学術会議は8月31日に、新たに会員となる105人の候補を推薦するリストを提出した。これに対し、加藤官房長官は10月1日の記者会見で、推薦候補のうち6人を任命しなかったことを明らかにした。
歴代政権は学術会議の推薦を尊重してきており、学術会議が推薦した候補が任命されなかったのは、初めての事態だ。
加藤官房長官は「会員の人事などを通じて、一定の監督権を行使することは、法律上可能だ」と強調した。
菅首相も「法に基づいて適切に対応にした結果だ」とのべたが、任命しなかった理由の説明は避けている。
これに対して、学術会議側は、任命しなかった理由の説明を求めるとともに、6人の任命を求める要望書を提出することを決めた。
学問の自主・自立性が損なわれる
そこで、この問題をどう見るか。憲法の専門家の1人は「今回、人選のルールが解釈で変更され、任命権者の判断でどうにでもなると、学問の自主性・自立性が損なわれる」と批判している。
その上で「一定の方向でしか学問ができないことになれば、社会全体も政治的に多数派ではない意見が言えなくなるおそれがある」と指摘している。
野党側は「学問の自由に対する国家権力の介入だ」として、臨時国会で追及する方針だ。
この問題に関連して、国が補助金を出していることや、学術会議の運営のあり方に問題があるのではないかとの指摘も出されている。指摘の点は改善の必要があると思うが、問題の核心は、政治権力と学術団体との関係をどうするかにあると考える。
新政権の政治姿勢 任命拒否の背景
今回の問題、私個人は「菅新政権の政治姿勢」を世論がどのように評価するかという点を注目している。
菅首相は、安倍政権の路線を継承する考えを表明するとともに、デジタル庁の創設や携帯電話の通話料の値下げなど独自色を打ち出そうとしている。これまでのところ、菅内閣の支持率も高い水準を示している。
こうした中で、任命されなかった6人の研究内容や経歴をみると次のような共通点がある。
まず、6人は憲法や政治学、行政法、日本近代史などいずれも法文系の研究者だ。また、安倍政権が打ち出した集団的自衛権の行使容認や安全保障法制、テロ等準備罪の新設などに批判的な立ち場を表明している点でも共通点がみられる。
政府が任命拒否の理由に言及していないので断定的に言えないが、6人の共通点から判断すると「政権との距離」、政府の方針に批判的な研究者は任命できないとの判断が働いているのではないかと推測せざるをえない。
負の路線継承 百害あって一利なし
安倍政権は、森友、加計問題をはじめ、桜を見る会などで、首相の政治姿勢や説明責任が大きな問題になった。
また、集団的自衛権の憲法解釈などに当たった内閣法制局長官の交代や、検察当局のNo2 黒川・前東京高検検事長の定年延長をめぐっても、強引な人事ではないかとの批判も浴びた。
今回の学術会議の問題は、安倍政権の末期から菅政権誕生の交代時期に重なっている。菅新政権の今回の対応は、安倍政権の人事や説明の仕方などをそのまま引き継いでいるように見える。世論の側は、”負の路線継承”と受け止める可能性が大きいのではないか。
このように見てくると、学者の世界に”対立”を持ち込むことは、新政権にとっても”百害あって一利なし”ではないか。
今、国民の多くが新政権に期待しているのは、コロナ危機乗り切りと経済再生を着実に進めることにある。学術会議の問題は、任命しなかった理由を明らかにすると同時に、問題ありと判断した場合、早急に是正した方が賢明だと考える。