“自公連立崩壊”の見方・読み方

自公連立政権から公明党が離脱し、26年に及ぶ両党の協力関係が崩れた。公明党の斉藤代表は10日、自民党の高市総裁と会談し「公明党が最も重視している政治とカネの問題をめぐる自民党の対応が不十分だ」として、連立政権を離脱する方針を伝えた。

公明党は、石破首相の後継を選ぶ首相指名選挙では高市氏には投票しない考えで、選挙協力も白紙に戻す方針だ。

これに対し、自民党は14日に両院議員総会を開き、高市総裁らが経緯を説明し、今後の対応についても意見を交わすことにしている。高市総裁ら党執行部は、首相指名選挙などで維新や国民民主党の協力を求めるものとみられる。

一方、立憲民主党は「首相指名選挙で野党側がまとまれば、政権交代の可能性も出てくる」として、維新や国民民主党に候補者の一本化に向けて党首会談を呼びかけている。14日には3党の幹事長会談が行われる見通しだ。

このように首相選びをめぐって与野党の駆け引きが活発になっているが、その前に今回の自公連立崩壊の意味や、今後の政権のあり方などを掘り下げて議論し、確認していく必要があるのではないか。そうした基本姿勢がないと政治の混迷から脱却できないのではないかと危惧している。

首相選び比較第1党か、野党連携か

まず、当面の焦点である石破首相の後継を選ぶ臨時国会の召集と首相指名選挙からみておきたい。10月4日に高市氏が自民党の新総裁に選出されたが、首相指名選挙を行う臨時国会の召集日程は未だに決まっていない。

外交日程は、26日からASEAN=東南アジア諸国連合の首脳会議や、27日にはトランプ米大統領の訪日が予定されている。政府・自民党は、20日の週の早い時期に臨時国会を召集したいとして調整を続けている。

ところが、公明党の連立離脱で、首相選びの情勢が見通せない状況になっている。自公連立政権では衆参両院とも自公で過半数を割り込んでいるものの、衆議院では220人を上回る勢力を維持していた。

ところが、公明党の離脱で衆議院では、自民党の勢力は196(衆院議長除く)まで縮小した。これに対し、立憲民主党は147、日本維新の会は35、国民民主党は27の勢力だ。野党3党がまとまれば209で、上位2人による決選投票に持ち込まれた場合、自民党を上回ることもあり得ることになる。

立憲民主党は「政権交代のチャンスだ」として、野党候補を1本化するよう働きかけている。そして野党統一候補として、国民民主党の玉木代表を推すこともありうるとして攻勢を強める構えだ。

これに対し、維新と国民民主党は、憲法や原発・エネルギーなどの基本政策が一致していないとして、今のところ慎重な姿勢を崩していない。

首相指名選挙では与野党のさまざまな組み合わせが想定され、誰が選出されるのかはっきりしない。今の時点で与野党の対応を基に判断すると、衆参ともに勢力が最も多い比較第1党は自民党なので、高市総裁が選出される可能性が高いとみられる。

但し、野党が結束すれば自民党を上回るので、野党候補が首相に選出されることもありうる。93年に8党派による細川連立政権が誕生したように、野党各党が歩み寄ることがあるのかどうか、みていく必要がある。

 連立崩壊で単独政権、極めて異例

それでは、これからの政治はどのように展開するだろうか。首相指名選挙の行方は先ほどみたように流動的だが、比較第1党の会派から選出される確率は高いので、高市総裁が選出された場合を想定して考えてみたい。

高市総裁の場合には、女性で初めての首相就任になるので、国民からの期待や支持がかなり高まることが予想される。但し、首相の評価は、実績や政権の安定、国民の信頼が得られるかどうかがカギを握る。

高市氏自身の評価はこれからであり、今の時点では過去の連立政権をめぐる動きが判断材料として参考になる。仮に高市氏が首相指名を受けた場合、国民民主や維新が直ちに政権に参加する確率は低いとみられ、自民党の単独政権としてスタートする公算が大きい。

自民単独政権の先例はどうだっただろうか。直ぐに頭に浮かぶのは93年に政治改革をめぐって自民党が分裂し、衆院選を経て宮沢政権が退陣、非自民・非共産の8党派からなる細川連立政権の誕生だ。この時まで自民1党優位体制が続き、自民党の単独政権が長期にわたって続いた。

この細川政権以降、日本政治は「連立の時代」に入り、自民党は社会党やさきがけと連立を組むことで政権を奪還し、その後も連立相手を変えながら政権を維持してきた歴史がある。

こうした中で、自民党が単独政権となったのは橋本龍太郎政権の時だ。当初、自社さ3党連立政権の枠組みでスタートしたが、96年の衆院選挙後、社民党とさきがけが閣外協力に転じ、自民単独政権に変わった。当時、自民党は最大野党の新進党に勝利したものの、過半数を割り込み少数単独政権としての再出発だった。

その後、自民党は新進党からの離党者を”一本釣り”して復党させ、衆院の過半数を回復した。この復帰組の中に今の石破首相、高市総裁も含まれていた。社民、さきがけの閣外協力は96年6月に解消されたので、橋本政権ではそれ以降、98年の退陣までの1年2か月、自民単独政権が続いたことになる。

その橋本首相は98年7月の参院選で大敗して退陣し、小渕恵三首相が後継首相を務めた。衆院は過半数を確保していたが、参議院は過半数割れし、衆参ねじれ国会に苦しんだ。

当時は金融危機が続いており、日本長期信用銀行も破綻に追い込まれた。金融再生関連法案を早期に成立させる必要があり、野党案を丸飲みして、成立にこぎ着けた。

また当時、防衛庁の背任事件をめぐり、参院で額賀防衛庁長官(今の衆院議長)に対する問責決議案が野党側から提出されて可決され、額賀長官が辞任に追い込まれた。問責決議案で閣僚が辞任に追い込まれた最初のケースだった。

こうした政権の不安定さから脱却するために小渕首相は、当時の自由党の小沢代表と会談し、連立政権を発足させることで合意した。その影の立役者が野中官房長官で、安定政権のためには「ひれ伏してでも連立をお願いする」ととして小沢氏の連立参加を取りつけたのは有名だ。

この自自連立を契機に自自公連立、自由党が外れて自公連立へとつながった。つまり、自民単独政権は橋本政権後半の1年2か月と、小渕政権発足から自自連立まで5か月の合わせて1年7か月に過ぎない。細川連立政権以降30年のうち、自民単独政権は極めて限られたケースであることがわかる。

ここまで長々と説明したのは、連立政権の背景には先人達の心血を注ぐような努力の積み重ねがあることを知ってもらうためだ。

逆に言えば、今回自公連立が崩壊に追い込まれた背景には、自民党の対応にさまざまな問題があったのではないか。端的に言えば、連立に必要な「信頼感」を持続させていくことができなかったと言えるだろう。

具体的には、公明党は衆院選、都議選、参院選と連敗を喫し、最も強く求めたのが「政治とカネの問題」だったが、自民党からは踏み込んだ対応ができなかった。余りにも鈍感すぎる対応とみることもできる。

また、自民党内には「公明党は、連立からは外れない」との思い込みが常態化していたと感じる。さらに、高市氏が新総裁に選出された直後に国民民主党の玉木代表と極秘会談を行ったとの情報が流れ、公明党側の不信をさらに強めることになった。

連立崩壊、中心軸なき混迷政局続くか

最後に自公連立崩壊後の政治はどう動くのだろうか。まず首相指名選挙では、与野党の誰が指名されることになるのか混沌とした状態が続いている。

ただ、四半世紀続いてきた自公連立政権が崩壊したことで「政治の中心軸がなくなった状態」と言っていいのではないか。衆院(総定数465)で考えてみるとこれまでは自公で220人、過半数を下回るものの、一定の規模・中心軸があった。

ところが、公明党が外れ、今や自民党の勢力は196人にまで縮小した。主導権を発揮できる集団がなくなり、政治の混迷は避けられない情勢だ。

当面は、衆参ともに比較第1党の自民党がどのように対応するかがカギを握る。仮に高市総裁が首相に選ばれた場合、高市氏自身が大局的な立場で、安定した政権運営を行えるかどうか。そのためには、内閣の要である官房長官にかつてのような実力と経験を持った人材を起用できるかどうかが大きなポイントになる。

一方、野党側も野党第1党の立憲民主党が150人近い議員を有しており、どこまで他の野党を説得できるかが問われる。維新、国民民主も野党の立場で政権交代をめざすのか、それとも自民党との連携し政策実現の道を歩むのか態度を明確にすることが迫られるだろう。

こうした自民、野党、そして公明党の各党の動きが続く中で、政権をめざす政党や議員の離合集散、政界の再編成が始まることになるのではないか。これから新たな政治の動きがいつ、どのような形で起きるのかが焦点になる。(了)

▲追伸(14日22時)◆政府は臨時国会を21日に召集する方針を固め、15日に衆参両院の議院運営委員会で与野党に伝える。召集日に首相指名選挙が行われる見通し。◆自民党両院議員懇談会が14日開かれ、高市総裁は公明党の連立離脱の経緯を説明し「私の責任であり、おわびしたい」と陳謝した。そのうえで、「首相指名のギリギリまで努力していく」と表明した。◆立憲民主党と日本維新の会、それに国民民主党の3党は15日に党首会談を開き、首相指名選挙をめぐり意見を交わすことになった。14日に開いた3党の幹事長会談で決まった。

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““自公連立崩壊”の見方・読み方” への1件の返信

  1. 自公連立崩壊の実態を受け、今後の政権獲得に向けた与野党の動きや思惑を過去の連立政権の推移や、自民単独政権を余儀なくされた
    時期をも歴史的に振り返り、分析を行って詳しく解説されており、
    長年第一線にて政治記者を経験された貴殿ならでの論旨の展開で納
    得しかりに感じました。
    その中で、如何に自民単独での政権が特異なもので、政権運営が困
    難を極めるそして短命に終わるということが強く印象づけられまし
    た。
    まさに高市総裁がこの異常事態にあるわけで、困難を強いられるで
    あろうこと、さらには野党が一つにまとまれば首相の座を得ること
    ができない可能性すらあるという事態に追い込まれているわけで、
    政局はかつてないほど混沌としていることがよく分かります。
    自民党の支持率の低下、そして公明党の連立からの離脱はいずれも
    自民党の「ダーテイな金権体質」にあることは明確です。
    にもかかわらず、自民党は金権にすがりつき旧態然のままです。
    これでは国民はついていきません!
    このことがまだわかっていないことが自民党の根本の問題です。
    国民が経済的に困窮しているにもかかわらず、政治が長期間停滞して未だに今後の政権の行方に見通しが立たない事態は異常です。
    一日も早い政権運営が行われることを願うばかりです!

    文章について
    ①「首相選び比較第1党か、野党連携か」の項
     最初から12~13行目
     立憲民主党    147→148
     野党がまとまれば 209→210
     (報道されている数字はこのように思いますが?)
    ②「連立崩壊で単独政権、極めて異例」の項
     最後から17行目
     自由党が外れて自公連立へとつがった
     →充当が外れて自公連立へとつながった
     ( な  が脱字です)
    ③同じ項
     最後から4行目
     「公明党は連立からは外れない」と思い込みが常態化
     →「公明党は連立からは外れない」との思い込みが常態化
     ( と →との  では)
    ④「連立崩壊、中心軸なき混迷政局続くか」の項
     6行目
     自公で221人
     →220人では?
     ( 自民196人 公明24人 )  
    ⑤最後から4行目
     自民、野党、公明党を含めた双方の
     →自民、野党(公明党を含めた)双方の
     (原文では「双方の」文言に違和感を感じます。
      公明党を独立させるのであれば 
       自民、野党、そして公明党の各党の  )

     10月14日  妹尾 博史

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